西本願寺から少し西へ行ったところに、レンガ造りのレトロな建物が現れます。
明治45年に伊東忠太の設計で、「真宗信徒生命保険株式会社」の社屋として、竹中工務店の施工により建築されました。
この頃から、竹中工務店はあったんだ~、とまず感心。
伊藤忠太というと、「建築」という言葉を造った、神様みたいな人です。
この建物は、「大谷光瑞」という後に西本願寺の門主となった、えらい人と深い関わりがあります。
大谷光瑞はロンドンへ留学をしていたんですが、仏教伝来の跡を調査するために「大谷探検隊」というチームを造って、シルクロードを通って、ガンダーラ(古代インド)を目指します。(明治35年)
その頃、中国で伊東忠太と出会い、こちらの設計を依頼することになります。
外壁が赤レンガ積なのは、イギリスへ留学していた大谷光瑞の影響もあるかもしれませんね。
インド象?こういうモニュメントが沢山あります。
開口部回り、軒などは「サセラン様式+日本の伝統的な様式」なんだそうです。
こちらの入口のゲートは、何だかインドっぽいですね。
その22年後、伊藤忠太は、有名な築地本願寺の設計をしています。
こちらの写真は、名古屋の西本願寺別院。
一瞬何か関係があるのかなと思ったのですが、こちらは新しいものなので、多分意匠だけ真似て造ったんでしょうね。