源氏物語の「夕顔」の舞台になったといわれる|遍照寺|昔々は景勝の地

「京都・嵯峨・太秦の古寺を訪ねて」1回目は、遍照寺です。

■小さなこぢんまりしたお寺

京都・嵯峨の遍照寺(へんしょうじ)は、寛朝僧正が平安中期(989年)に開創したものです。

大通りからは、歩いてお寺に向かいます。住宅街を5分くらい歩いていると、突如現れます。うっかりおしゃべりでもしながら歩いていると、通り過ぎてしまいそうになるくらい、こぢんまりしています。

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お寺は、小さくて、かわいらしい雰囲気です。

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なぜかアプローチに対して、建物が少し傾いています。理由はよく分かりませんが、考えられるのは、西方浄土の考え方で、建物は真西に向けたのかなあ、ということくらいです。

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■十一面観音立像 赤不動

 

仏様は「十一面観音立像(重文)」(10世紀前半のもの)で、元々は、広沢池中島の観音堂にあったのが、応仁の乱で廃墟となり、それを江戸期に赤不動さんと共に現在の位置に移したんだそうです。撮影禁止なので、入口部分を少し。

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■源氏物語の身分違いの恋「夕顔」の舞台

この「広沢池」は景勝の地で観月の名勝として知られていて、紫式部が20歳の頃、具平親王(ともひらしんのう)と大顔(おおがお)がお忍びで遍照寺にお月見に出かけた際、大顔が急死してしまって、紫式部の父と伯父は残された子供のために奔走することになったそうです。具平親王は身分が高く、博学多才だったのに対し、大顔は親王家に仕える雑役の女性だったそうです。身分違いの恋は「源氏物語」の「夕顔」の舞台の土台になったといわれていて、光源氏と身分違いの恋をしていた夕顔は、大顔がモデルなんだそうです。

1000年近く前に、この小さなお寺でそんな物語があったなんて・・・この広沢池周辺は、沼地だった為、あまり人が住んでいなかったそうです。今では、ひしめくあうように建物が並ぶ住宅街の中にあるので、今ひとつイメージが沸かないですが、昔は素敵な場所で、きっと月もきれいに見えたんでしょうね。

■場所

京都・嵯峨の遍照寺(へんしょうじ)は、広沢池のすぐ南側にあり、渡月橋で有名な、嵐山の少し北に行った所にあります。興味のある方はぜひ一度行ってみてください。

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遍照寺

京都市右京区嵯峨広沢西裏町14

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この記事を書いた人

chieyamauchi

やまうち ちえ
愛知県名古屋市で一級建築士事務所を経営しています。
「夢を形に・愛・記憶を未来へ」の経営理念をもとに
設計しています。
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